Saturday, June 30, 2007

たましいのゆくえ

6月23日(土)、日立市と茨城○○スト教大学の連携講演会が大学の大教室で開催された。

この連携講演会は、今年で4回目となる。

この大学は、市内にある2つの大学のひとつで、名前のとおりミッション系の大学である。
宗教学の講座やカウンセリング研究所を持つなど、「こころ」の問題を広く研究している。

5年前、企画部にいた頃、私が立案し、この大学と相互協力の包括協定を締結した。
そして、その手始めにこの連携講演会を始めたのである。
(過去の連携講演会はhttp://www.icc.ac.jp/「一般の方へ」「日立市との連携事業」をご覧ください)

今回の講師は、京都大学「こころの未来研究センター」教授カール・B・ベッカー氏である。演題は「たましいのゆくえ・日本人の死に方と生き方の道」。

氏は、終末医療の現場で患者にカウンセリングを行いながら日本人のたましいの問題を研究している。「末期医療の問題」、「尊厳死」、そして「臨死体験」や「死後の世界」など、一つ間違えばオカルトともとられかねない分野まで研究対象とし、「生と死のあり方」の問題を広く社会に提起している。

講演は1時間30分の予定だったが、質疑もたくさん出され、終わってみれば1時間も終了予定時刻をオーバーしてしまった。

たくさんの市民が来場したため、会場は満席だった(さすがに年配者が多かった)。「死」は誰にも切実な問題なのに、「死」を社会のタブーとし、正面から捉えてこなかったことが今回の盛況の理由だろう。

「死」の問題は、宗教の最大テーマであるが、「葬式仏教」と揶揄されるように、日本の宗教界はこの問題にほとんど役割を果たしていない。医療の現場でも、まだまだ「生かす」ことが仕事であり、「死」を肯定的に捉えていない。そして、「いかに死ぬか」ということは、個人の問題であるとして、行政の課題にもほど遠いのである。

今回、「死」の問題を正面から研究している「研究者(大学)」とそれを広く市民に伝えられる「行政」が一緒なってこの講演会を行ったことは、高く評価されるだろう。

閉会し、帰宅を急ぐ聴衆には、安寧と満足の表情が見られた。
来年は、どんな講演会が企画されるのだろうか。そんなことを期待させてくれる内容だった。
包括協定を締結する時お世話になり、そしてこの講演会を企画された茨城○○スト教大学地域連携室の皆様に感謝。

(カール・B・ベッカー教授の講演内容は、紙面に収まりきれないので割愛しますが、ほとんど同じ内容が以下の講演録で見られますのでご覧ください。)http://www.seibun-ken.jp/2004_1bekka.htm

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Wednesday, June 27, 2007

モンパルナスのキキ







まさか本物に出会えるとは思っても見なかった。
プティ・パレ美術館所蔵の「赤いセーターと青いスカーフのモンパルナスのキキ」。
茨城県近代美術館のキスリング展で7月20日まで公開されている。http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/exhibition/kikaku/index.html

キキ(本名アリス・プラン、「キキ」という名はギリシア語でアリスの愛称)は、「モンパルナスの女王」とよばれ、キスリングをはじめ藤田嗣治、モディリアーニ、ユトリロ、写真家アン・レイなど数多くの芸術家のモデルとなった。

キキは、私生児として生まれ、極貧の中で少女時代を送った。
パリに出た後、モンパルナスの芸術家たちに偶然見出された。男性遍歴、麻薬中毒、・・・その奔放な性格は芸術家たちの心を虜にした。

キスリングは100点を越す「キキ」を描いた。
その中でも秀逸なのが「赤い・・・・スカーフのキキ」。
キスリングは、(他のモデル同様)キキに恋した。キキとの場合、その描いた点数からいって「恋」といった生やさしいものではなかったろう。

写真で見ると、描かれた時代のキキは、絵画のそれより成熟した女性である。
キスリングは実物より若く、清楚にキキを描いた。それは画家の心眼である。奔放な中にも純真で一途な面を見出したのだろう。

キキは、決して飛びぬけた美人ではないが、芸術家を魅了してやまない魅力があったという。それは私生児という出自と貧困の中で身についた術なのかもしれない。

キキは52歳で孤独の内に没した。麻薬と過度の飲酒の結果である。
キスリングの「キキ」は、大きく眼を見開き、その瞳ははるかかなたを見つめている。決して現世では本物の幸せが見出せないことを知っていたかのように。

写真上:赤いセーターと青いスカーフのモンパルナスのキキ(キスリング)
写真中:キキの半身像(キスリング)
写真下:愛人アン・レイの撮ったキキ

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Saturday, June 23, 2007

電気を消してスローな夜を

 毎年、夏至の時期(6月22~24日)、全国各地で「100万人のキャンドルナイト」が開催される。梅雨時のイベントなので天気が心配されたが、今年も好天に恵まれた。

今年は、全国885箇所で開催されているという。
これらの情報は、「100万人のキャンドルナイト実行委員会」のホームページで見られる。
                                                                                                                                                                                 
これは、なかなか良く出来たサイトだと思う。
このイベントは、著名人が発起人となった全国規模の実行委員会があるが、実際の開催は、全国各地のグループが自主的に行っている。                                                             
実行委員会は、イベントの趣旨を表明し、各地から賛同するグループをネット上で集める。そしてネットで各地のイベント情報を流す。これが実行委員会の主な役割だ。
                                                                                               
地球環境問題のような新規の運動は、ネットが有効だ。
このサイトでは、各地の情報を参加者から届く携帯メールで紹介している。まさしくネット参加型の活動となっている。
                                                                         
そのせいだろうか、各主催者の垣根も低い。
イベント主催者は、何も環境団体ばかりではない。居酒屋やカフェなども店の中でイベントを行っているのだ。
 
日立市では「イトヨの里泉が森公園」で3年続けての開催となった。
昨年以上の人出となった。3年目ということで認知度が高まったこともあるが、なんといっても若者が支えていることが大きい。
主催者(志塾)の働きかけで、地元の中学、高校、大学の生徒、学生が準備に携わっているのだ。              
中学校では、使用するろうそく(の一部)を手作りした。
高校ではボランティアクラブが参加し、大学では、美術の講座の学生たちがキャンドル配置のデザインをした。

環境問題は、現在世代が子孫に残す負の遺産である。残りの人生が長い者ほど被害が大きい。若者たちは(口には出さないが)強い危機感を持っているのだろう。  
                                                                   
若者たちがイベントを企画、開催し、これを年配者が楽しむ。なんと皮肉な現象なのだろうか。

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Saturday, June 16, 2007

海岸はワンダーランド

6月16日の大潮の干潮時を狙って海岸線の調査に行った。

地球温暖化の影響なのか、昨年、日立市の海岸線(28Kmもあるのです)は、何度も台風時、波浪で被害を受けた。

海岸の護岸が壊されたり、波が人家まで入ってきたり・・・その都度、災害対策に追われたのだった。

日頃は、気にも留めない海岸線だったが、災害を受けて改めて調べてみると、各所で危険な状態になっていることが分かってきた。

そのようなことから、今回、専門機関に詳しい調査を依頼し、一緒に現地に出かけたのだった。

初めて足を踏み入れた海岸も多かった。(普段は潮が満ちていて近寄れないのです。)

そしてそこで発見したのは、日立の海岸は、「ワンダーランド」だということ。

一番驚いたのは、海食洞(かいしょくどう)という洞窟が海岸から陸地に向かって伸びていることだった。

海食洞は波の力が崖の弱い部分を削り取り、洞穴をつくる。その洞穴に波が集まり、ますます削られ、伸びていく自然現象なのだ。

今回発見した海食洞のうち最大のものは、長さが30mもあった。そしてその先端は海岸脇の道路を越え、人家の下まで達していることが判ったのだ。

いつか、道路も、人家も陥没する日が来る。(その日が5年先か50年先かは判らない)

今後、対策を検討しなくてはならない。

この日は、海岸の専門家(大学教授)も一緒だったが、対策(海岸工事)には、膨大なお金がかかるといっていた。

財政難の最中、頭の痛い問題がまた一つ現れた。

(波が勢いよくテトラポットに当たり、砕け散る。)

(このテトラポットは、波の勢いで前面のテトラの場所から飛ばされてきたものと思われる。コンクリートは10~20年でボロボロになってしまう。)

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Tuesday, June 12, 2007

サン・ラザール駅

1837年フランス最初の鉄道駅として建設されたサン・ラザール駅。屋根は鉄とガラスで作られていて、構内に自然光を取り込んでいる。
モネは、機関車の蒸気や煙に屋根から射し込む光がつくる様々な色彩に美を感じた。
今日、蒸気機関車は消え、Trannsilien(フランス国鉄の近郊路線)の2階建て列車が走る。
モネの描いた光の色彩は見られなくなったが、美しいデザインの近郊列車が旅人の心をやさしくつつむ

(モネの「サンラザール駅」は「モネ大回顧展」(国立新美術館)で7月2日まで展示されています。)

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Sunday, June 10, 2007

アンネのバラ

5年前になるだろうか。知人で建築家のAさんからアンネのバラの切花をいただき、鉢に挿し木しておいたら根付いた。

毎年、この時期華麗な花をつける。
このバラは、アンネの父、オットー・フランク氏がアンネの形見として造園家に創ってもらった新種のばら。
日本にこのバラが広まったいきさつはよく知られている。


Aさんの家の庭に咲いていたものをいただいたのだが、庭で栽培されていた訳は、Aさんが近くの教会の設計を依頼されたことが縁だという。その教会はアンネのバラを日本に広めた「聖イエス会」の流れをくむ宗派なのだ。
そのAさんだが、3年前に不慮の事故で故人となり、私にとっても「形見のばら」になってしまった。

「アンネのバラ」は、近くの大学の礼拝堂の花壇で見事な花をつけています。こちらの写真もご覧ください。
(注)「アンネのバラ」は色変化するめずらしいバラです。つぼみの時は赤、開花するとオレンジ→サーモンピンク→赤と変化します。



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Thursday, June 07, 2007

トーキョーワンダーサイト

 4月の都知事選挙の直前、さかんにマスコミをにぎわしていたのが、このトーキョーワンダーサイト。

 若手アーティストを発掘し、発表の場を提供することを目的に、石原都知事が2001年から始めた事業である。
http://www.tokyo-ws.org/hongo/index.html

 友人の建築家を館長にしているとか、画家の息子の作品を展示してあるとか・・・・身内の身びいきをさかんに共産党やマスコミが批判した。

 それはともあれ、近くまで行ったので、野次馬根性でワンダーサイト本郷に寄ってみた。(ワンダーサイトは本郷のほか、青山、渋谷にもある。)

 「index#3経験の効用」と「Oコレクションによる空想美術館」という二つの企画展が同時開催されていた。http://www.loaps.com/looker+index.id+29.htm

 前者は、京都造形芸術大学を中心とした学生の発表の場であり、後者は「岡田聡コレクション」による若手アーティスト作品の展示である。

 都知事選挙の時の中傷合戦のイメージが強かったので、さぞや税金を湯水のごとく使っているのかと思いきや、建物は元の都教育庁の分庁舎だと言うし、外観も内装もいたって質素であった。(戦前に作られたという建物に蔦を這わせてシックに仕上げてあるのだ)

 思うに、身内の登用の問題や不透明な運営の問題はあるのだろうが、「若者に活躍の場を与える」というコンセプトはもっと評価されても良いのではないだろうか。

 今の若者は、少子高齢社会の中で、(年長者に押さえつけられ)なかなか力を発揮するチャンスがない。加えて年金や格差社会の問題で将来に希望が持てないでいる。

 この施設には多額の税金が投入されていることも問題視されている。しかし、高齢者福祉が行き過ぎ、結果として若者向けの施策(子育て支援、就業支援)に税金が回らない現状の方が、日本の将来を考えれば深刻な問題なのだ。

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Saturday, June 02, 2007

元町公園

東京出張の折、水道橋駅から御茶ノ水駅方面へ外堀通りを歩いていて、洗練された洋風の小公園を発見した。

その名を文京区立「元町公園」という。銘版には昭和5年建設と書いてある。

イタリア風庭園の様式であることはひと目でわかった。入り口の階段はは途中から左右に分かれ、正面にはアーチ模様の壁泉がしつらえてある。(写真1)


またその先の広場にはカスケード(階段状の水の流れ)もある。(写真2)


家に返ってネットで調べてみると、関東大震災の後の復興事業で作られたとある。 


当時はまだ大正モダニズムの自由な気風が残っていた時代である。(多分)当時の公園設計者たちは、(行ったことはなくとも)目標とするヨーロッパ庭園のデザインを果敢に取り入れようとしたのだろう。

 いたるところにその思想が見受けられた。

十字模様がくりぬかれたパラペット(壁)(写真3)


アールデコ風のフェンス(写真4)
頭部がデザイン化されたパーゴラ(藤棚)の柱(写真5)







あるホームページでは「表現主義」と評している。http://www.sainet.or.jp/~junkk/hukkou/motomati.htm


さらに調べてみると、(驚いたことに)現在、この公園は取り壊しの危機にさらされているという。隣の小学校敷地とあわせ大規模体育館の用地になるという。


これに対し、地域住民や建築家協会などの専門家がその保存運動を展開している。http://www.toshima.ne.jp/~tatemono/page025.html

端的に言えば、これは、大規模体育館の必要性とこの公園を保存する価値(歴史性、芸術性)との比較の問題である。
歴史の古い建造物は保存されることが多いのだが、元町公園の様な近代遺産は、その価値がなかなか認められない。

この問題の是非を論ずる立場にはないが、(公園整備を生業としているひとりとして)昭和の始め(欧米の都市に負けまいと)プランを練り上げた、技術者たちの新進の気概も議論の俎上に載せてもらいたいと思うのである。

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