Friday, February 29, 2008

安藤忠雄の本歌取り

本歌取りとは、すぐれた古歌や詩の語句、発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧のこと。
新古今集の時代に最も隆盛した。

転じて、現代でも絵画や音楽などの芸術作品で、オリジナル作品へのリスペクトから、意識的にそのモチーフを取り入れたものをこう呼ぶ。

オリジナルの存在と、それに対する敬意をあきらかにし、その上で独自の趣向をこらしている点が、単なるコピー(パクリ)とは異なる。

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淡路島にある安藤忠雄設計の「淡路夢舞台」を見に行った。
夢舞台は、関西国際空港を作る時に埋め立て用の土砂を採取した場所にある。
土を取った跡地に自然の復元をかねて公園やホテル、野外劇場、国際会議場を整備したのである。http://www.yumebutai.co.jp/

その設計を一手に行ったのが建築家、安藤忠雄なのです。

安藤ファンとしては一度は訪れたい聖地のようなもの。
なぜならば、たくさんの安藤建築が見られるだけではない。安藤は、ここで本業以外の造園やランドスケープも手がけているのです。

関東に住んでいる身ゆえ、なかなか淡路島まで出かける機会もなかったのだが、大阪に出かけたついでに足を伸ばしてみることにした。

書きたいことはたくさんあるのだが、今回は上記の「本歌取り」のこと。

世界的建築家、安藤が「本歌取り」とは?、と思われるかもしれないが、夢舞台のなかの噴水(貝の浜)、植物園、陸回廊(スペイン風庭園)は、世界各地の名庭園をオリジナルにして、安藤の独創性を重ねた作品になっているのです。

夢舞台の展示スペースに安藤建築とその「オリジナル」の写真が並べて飾ってありました。
「本歌取り」はまちがいのないこと。いや、それをあえて知らせることで安藤建築の奥の深さを教えているのかもしれない。

噴水(貝の浜)は、ローマの郊外チボリにあるビラ・デステ
http://www.ne.jp/asahi/buon/viaggio/italia/tiv1.html
植物園は、ロンドンの郊外にある王立キューガーデンhttp://www.h2.dion.ne.jp/~blume/main/oversea/eng/kew-g.htm
陸回廊(スペイン風庭園)は、かのアルハンブラ宮殿
http://www.arch-hiroshima.net/a-map/spain/alhambra.html

が「本歌」なのです。

それぞれに共通しているのは、安藤独特の空間の切り取り方。
余計なものを剥ぎ取り、対象の本質に迫ろうとする大胆さなのです。

3つの作品のなかでも、最も感動したのは陸回廊(スペイン風庭園)。

アルハンブラ宮殿には行ったことはないが、乾いた空気と南欧独自の光線が作り出す陰影は写真で見ていても憧憬である。そこに湧く噴水と流れ出るせせらぎは、きっと見る音楽なのだろう。














安藤の作品には地中海性気候が合うのかもしれない。
安藤が心の師としたル・コルビジエも晩年を南仏カップ・マルタンで過ごした。
淡路島も温暖・乾燥の瀬戸内海気候である。

シンメトリックな構成にリズミカルな列柱、流水とわずかばかりの草花が、無機質な空間の中で命の輝きを放っている。

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Sunday, February 24, 2008

道は止まらない


衆議院で、ガソリン税暫定税率の存続・廃止が審議されている。

ガソリン税(揮発油税)は道路特定財源のひとつである。
もともと昭和28年にその原型ができ、昭和49年、当時の田中角栄内閣が暫定税率を定め、現在の約48円/Lの税額となった。

この税額は、年間約4.8兆円の目的税として国と地方自治体に納入され道路整備に支出されている。
この額は、防衛費(4.7兆円)より多く、生活保護費(2兆)介護費(1.9兆)社会福祉(1.6兆)失業対策(0.2兆)と比べて突出している。

高度経済成長期ならいざしらず、財政難の中、高齢化問題や失業問題の深刻な現状をを考えると、(暫定税率の見直しよりも)道路特定財源の一般財源化が必要なことは明らかなのだが・・・・

それを拒んでいるものは、

第1に国土交通省を頂点とする地方支配
(国の言うことを聞かないと補助金がもらえない中央集権の仕組み。だから東国原知事までもが、暫定税率、特定財源維持に迎合せざるをえない。)
第2に、ゼネコンの工事受注につながる産官のつながり。
(これに族議員が関与して政官民のトライアングルが作られている。ここまではよく指摘されていることです)
第3に、建設官僚の職務熱心(このことはあまり言われることはないが、実感では相当、原因となっています。)

職務熱心であって怠慢ではないのです。事実彼らは毎日深夜まで仕事をしている。
(私も何度も霞ヶ関に出張し、彼らと仕事をしてきたが、それはそれは良く働く。)
それゆえ、世間一般の世事に疎く、自分たちの仕事が全て(少なくとも最も大事)だと勘違いしてしまう。

国全体から見れば部分最適、全体不最適になっています。
どんなに優秀な人間でも、世間が狭く、限られた体験の中からは全体像が見えないのです。

これはちょうど太平洋戦争に先立つ、中国進出(侵略)に果たした帝国陸軍のそれに酷似しています。背景には植民地拡大を意図する財閥の意向があるのですが、加えて、陸軍の暴走が、戦争拡大の引き金を引いたことは歴史の事実なのです。
軍隊は戦うのが目的の組織であり。職務に忠実ならんとすれば、戦線を拡大せざるを得ない体質があるのです。

同じことが国土交通省道路局にもいえるようです。道路を作ることが手段ではなく目的化し、いつのまにか本来の目的である「国を豊かにする」ことを見失っているのです。
(道路整備中期計画の高規格道路14000Km、10年間の建設費59兆円は、どう考えても無理があります。そしていずれ財政破綻の引き金を引くでしょう。)
ちなみに、道路特定財源維持の理由「経済発展のため」は、もっともらしい理屈という点で大陸や南方への侵略の根拠となった「大東亜共栄圏」に似ています。

太平洋戦争の戦禍を引き起こした体質と文化は戦後60年余を過ぎても変わっていないのですね。
このまま行けば、道路建設で第2の敗戦を迎えるのではないかと心配です。

(写真は本四連絡橋の一つ、明石大橋 建設費5000億円)

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Saturday, February 23, 2008

日立村物語




工業都市・日立市の歴史や先人の活躍を紹介する「日立村物語」パネル展が29日から、同市幸町の日立シビックセンターで開幕した。主催の「郷土ひたち・ネット」の掛札優代表は「皆で学び、皆で活かそうをテーマした。市民にもっと自分たちの暮すまちのことを知ってほしい」と話している。2月3日まで。

会場では、歴史や先人の偉業を▽日立村物語(日立村誕生から市域の変換、日立村及び周辺の資源)▽大煙突物語(煙害対策の要点)▽さくら物語(日立のさくら全般)▽共楽館(理想社会つくりと共楽館)―の4コーナーで紹介。日立村は明治22年に宮田村と滑川村が合併して誕生、39年に市制施行した。黄門様が日の出の秀麗なこと領内一と言ったことから名付けられたといわれている。

パネル展では、1905年の日立鉱山の創業から日立製作所の誕生(68年)による発展。煙害対策のための大煙突の建設や約330万本のオオシマサクラの植樹。日立鉱山創業者の久原房之助の「一山一家」「共存共栄」の思想の中から誕生した芝居小屋「共楽館」の開設などを紹介している。

久原氏が理想社会づくりを目指して創業した日立鉱山、その煙害に立ち向かった人たちの活躍、煙害対策技術を解説。東日本最大の総木造建築の共楽館の現在と過去のパネル写真や共楽館を使った各種イベント、NPO法人「共楽館を考える集い」の活動などを分かりやすく紹介している。
(茨城新聞)
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上の新聞記事で紹介されている「郷土ひたち・ネット」の代表、掛札優さんは、知己のお一人である。
定年後の人生を文字通り「世のため人のため」と思って活動されている。
リタイアされた企業戦士を組織化して、幅広くボランティア活動をしているのだ。

日立市内には、日立製作所を定年退職してから社会活動をしている市民が多数おられる。

掛札さんが代表を務める「熟年ネット」と「郷土ひたちネット」
内田さんが代表理事をされている「コミュニティーネットひたち」
多田さん、南さんが中心になって活動している「助川山保全くらぶ」
西成田さんが理事をしている「with you」
今井さんが事務局長をされている「花樹の会」
・・・・

高齢化が進む中で、財政難や制度の壁から手の行き届かない行政に代わり、それぞれの団体が地域の問題解決にとりくんでおられる。
一流企業で培った企画力、組織運営ノウハウ、実行力には脱帽なのです。
さすが「世界の日立」(笑)。

活動の関係でそれぞれ市役所に来庁されることが多い。
皆さんとは(以前在課していた)企画課時代の知り合いである。

当時は、政策立案に協力していただいたのだが、現在の課(都市整備課)に移ってからは、直接、協働で市民事業を行っているのです。

「コミュニティーネットひたち」とは、市の公園ホームページの製作、運営を
「助川山保全くらぶ」とは市民の森の管理運営や自然体験教室の開催を
「with you」とはかみね公園の花園プロジェクトを
「花樹の会」とは公園や街路樹のさくらの管理を
・・・。

日々助けてもらってばかりなのでこの場を借りて感謝の気持ちを少々。
「皆さんがいないとわが課は一歩も仕事が進みません(苦笑)。これからも見捨てることなくご協力をm(._.)m。」

さて、上記の掛札さんと今井さん(花樹の会)が、今日わが課にこられた。
目的は、4月始めの「さくらまつり」出展の件である。
上の新聞記事にある「日立村物語」「大煙突ものがたり」のパネル展示をまつりで行おうというのだ。
花樹の会も日立の桜紹介のパネル展示を一緒に行うという。
これにわが都市整備課も乗ることにした。
わが課の出し物は「さくらパートナー」。
去年から始めた市民協働で進めている。平和通りのさくら植替え事業である。

時代は、明治の終わりから大正時代にかけてのこと(日立村物語)。
日立鉱山の精錬所からでる煙害対策として高さ156mの世界一の大煙突が建てられた(大煙突物語)
煙害ではげ山となってしまった山やまに植えられたのが大島桜。
これがきっかけとなって「かみね公園」や「平和通り」にソメイヨシノが植えられ、日立の桜が有名になった。(さくら物語)
そして「花樹の会」の皆さんが各所の桜の手入れを行い、広く日立市の桜をPRしている。
最後に、将来に向け、桜を市民の手でリニューアルし未来につなげるのが、わが課の目玉事業「さくらパートナー」。

ということで掛札さんの「郷土ひたち・ネット」は過去を
今井さんの「花樹の会」は現在を
わが課の「さくらパートナー事業」は未来を

という一連のさくらの物語を「日立さくらまつり」で紹介しようということになった。
そして、もうひと工夫秘策を話し合ったのだが、これについては次回にご期待あれ。

追記
コミュニティーネットひたち http://www.cnet-hitachi.com/

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Tuesday, February 19, 2008

日差し有情











冬晴れの日、建具の格子と光がつくる美
(江戸東京たてもの園にて)
写真上から
前川國男設計「前川自邸」
     同
堀口捨己設計「小出邸」
「三井八郎衛門邸の茶室」

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Saturday, February 16, 2008

壁面は背表紙





司馬遼太郎記念館のハイライトは高さ10mはあろうかという書架である。

建築家、安藤忠雄は記念館の設計にあたって司馬の博学強記を表すため、壁面を本で埋めた。
それも地下階から地上2階までつながる吹き抜けの壁一面をである。

司馬の著作の源泉は膨大な資料調べにある。
丹念に文書にあたり、その時代、その場面にいるがごとく史実を体得して書くのである。
その行為が司馬文学の魅力になっている。

司馬は、自宅に蔵書を6万冊持っていた。
(10万冊あれば公共図書館ができるというのですから個人の蔵書数としてはとてつもない数です。)
そして記念館に置かれた蔵書は2万冊。
それも、自宅から移したのではなく、改めて同じ本を購入して備え付けた。

安藤の司馬への敬意と謙虚さの現われなのでしょう。

背表紙しか見えないし、実際には手にとって読むことの出来ない本なのです。
(とび職人が本を並べたというから、物理的に本を取り出せない構造となっている。)
しかし、建築家の目には司馬遼太郎の世界を感じ取ってもらうには、この方法が最良だったのです。

膨大な知識の集積と類まれな想像力があって初めて司馬文学が生まれた。
そしてその象徴がこの背表紙の壁面なのである。
(写真は記念館のHPの転載)

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Tuesday, February 12, 2008

菜の花忌
















今日(2月12日)は司馬遼太郎の命日である。

昨日(11日)は大阪にいたので、前から行きたいと思っていた司馬遼太郎記念館に出かけた。

司馬遼太郎は、産経新聞の記者時代から大阪に住み、その作家活動の多くを大阪で行った。
司馬の自宅は、東大阪市にある。

東大阪といえば、(かつては)町工場の街である。庶民の町であって決して文人の住むところではない。
事実、司馬は周囲から芦屋など高級住宅地に越すよう勧められていたという。

記念館は、司馬の居宅の脇に建てられている。
安藤忠雄の設計で01年に建てられた。
今回の目的は、安藤の建築探訪である。

最寄の近鉄八戸の里駅に降り立ち、出口に置いてあった地図を頼りに徒歩で8分。
駅前広場に菜の花の鉢植えが置いてあったので「ハハン」と気付く。

そうだ、菜の花忌だ。
司馬遼太郎が亡くなってから12年が経つ。

司馬は著書「菜の花の沖」のタイトルにもあるように菜の花を愛でた。
そして、故人を偲び、12日を「菜の花忌」として毎年、イベントが行われている。


菜の花忌は、上のような文化人だけでなく、記念館の近くの市民や、生徒、学生によって支えられている。
八戸の里駅から記念館までの道筋には、いたるところに菜の花のプランターが置かれて、花に導かれて記念館に着く。
そして記念館のいたるところに花また花である。
少し早めの菜の花は、みなボランティアの力で咲かせたものだという。
安藤忠雄の設計した建物には菜の花が良く似合う。
アプローチの通路の足元に置かれた黄花が建築全体を引き立てている。

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Monday, February 11, 2008

風船爆弾と日米親和


北茨城市五浦にある茨城県立天心記念美術館のすこし手前に風船爆弾の慰霊碑がある。


風船爆弾とは、第2次世界大戦中、日本軍がアメリカ本土へ向けて飛ばしたものである。


亜成層圏(高度8千~1万m)には西から東へジェット気流が吹いていて、これに乗せるとほぼ2日間でアメリカまで到達するという。


約9千個作られ、その内3百個が到達した。


千葉県一宮と福島県勿来、そして、勿来のすぐ南になる茨城県五浦が放出基地だった。http://ja.wikipedia.org/wiki/風船爆å


米国が原子爆弾を作っている時に日本は風船爆弾を作っていたのだから、戦力的に勝ち目はない。
広島、長崎の死者は10万人を越えるという。これに対し風船爆弾による死者は6名。
(これは山中の木に引っかかっていた風船に誤って触れたハイカーの家族だという)


この数字だけを見ると、日本の技術の稚拙さだけが目立ってしまうが、よく調べてみると日本もなかなかてすてたものではないのです。


第1に、当時ジェット気流の存在を知っていたのは日本だけ。
大正15年に高層気象台初代台長の大石和三郎が日本上空に高層風があることを発見していたのです。
 (気象学は当時から世界的に先進国だったのです。)


第2に、当時の長距離の兵器としては世界No.1。
大陸間弾道ミサイルができたのは、戦後の東西冷戦下のこと。
それに先立ち、大陸を越えて使用された兵器としては世界で最初のものだったのです。


とはいっても、所詮人を殺す兵器。自慢できるものではないですね。


同じ五浦の海水浴場の近くには、心ある地元の人たちによって戦争を戒める碑文が刻んである「わすれじ平和の碑」が建立されています。

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新しい誓い
海のかなた 大空のかなたへ 消えて行った
青い気球よあれは幻か 
今はもう 呪いと殺意の 武器はいらない
青い気球よ 
さようなら さようなら戦争
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そしてもうひとつ五浦には日米親和のエピソードがあるのです。


太平洋戦争で日本の主要都市が空襲で壊滅した時、京都や奈良など歴史のある街はこれをまぬがた。


これは(真偽諸説があるのですが)米軍中枢に日本の古都の文化の重要性を進言し、爆撃を回避させた人物がいたからだという。


その名は、ラングドン・ウォーナー。
日本美術の研究者で岡倉天心に師事し、戦前の3年間この五浦に滞在していたことがある。
その縁で、このウォーナーさんの銅像が「わすれじ平和の碑」に程近い茨城大学五浦美術研究所の一角に建っているのです。


近くにお出での際は、是非お立ち寄りください。

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Sunday, February 03, 2008

身土不二

身土不二には二通り読み方があるという。

ひとつは、「しんどふに」。
もうひとつは、「しんどふじ」。

「不二(ふに)」の方は、仏教用語で、「身」(今までの行為の結果=正報)と、「土」(身がよりどころにしている環境=依報)は切り離せない、という意味。
「不二(ふじ)」 は、「地元の旬の食品や伝統食が身体に良い。」という意味で、大正時代に陸軍の「食養会」が創作した言葉らしい。

食養会が「その土地、四方四里の範囲で出来た食材を食べると身体に良く、他の地域の食品を食べると身体に悪い。」というスローガンを掲げたところ、京都の僧侶が「仏典に身土不二という言葉がある。」と教えた。
仏典とは意味が違うが、以降この説を「身土不二(じ)」と呼び、食養会独自の大原則として広がることとなる。

地域おこしの「地産地消」、イタリアから始まった「スローフード」運動も「身土不二」と基本は同じである。

中国製冷凍餃子の中毒事件は、すこしマスコミの騒ぎすぎではないかと思うのだが、確かに地元の食材を自ら調理して食べていればこんな事件に出くわすこともない。


写真は、真冬の菜園の様子。

作物の少ないこの時期だが、大根、かぶの他、青梗菜、小松菜などの菜っ葉の類が旬である。


氷点下まで気温が下がると、作物は成長が止まるが、その分糖分が根や茎に蓄えられる。

小松菜を茹でて「おひたし」を作り、ポン酢で食べるとこれがまた旨いのだ



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Friday, February 01, 2008

法令遵守が日本を滅ぼす


常識に反旗を翻す、挑発的なタイトルである。

しかも、桐蔭横浜大学法科大学院教授である著者は東京地検特捜部の検事出身で、現在は同大コンプライアンス研究センター長。いわば「法の番人」とでもいうべき立場の人である。

それが「法令遵守(じゅんしゅ)=コンプライアンス」が組織をダメにしているというのだから、いったい、どういうつもりなのか、と思いながら読んだら、とても説得力があった。 

例えば談合。これが、よくないことはいうまでもない。しかし、談合をやめさえすれば、日本はよくなるのか。

確かに、適正な競争によって調達価格は下がって税金の無駄遣いは減るだろう。しかし、安かろう悪かろうとなる懸念は増え、コスト削減で、労働者の権利が損なわれるおそれもある。 

「談合廃止」という単純な法令遵守が、結果として「良質かつ安全で、安価な」調達に危機をもたらす理由は、ここにあるとされる。法を守るとは何か。その根本から日本の“コンプライアンス病”を考える問題提起の書だ。(新潮新書、680円)

(読売新聞書評から)


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そうだ、その通りだ!

と思えることがたくさんある。


耐震偽装が問題になって

(建築確認の徹底で、時間がかかるようになったら)

住宅建築着工戸数が減って、景気の足が引っ張られ・・・


道路交通法改正で駐車違反取締りが厳しくなると

(街の商店街に買い物の人がこなくなり)

中心市街地は寂れる一方で・・・


医療事故でマスコミが医者を叩くと

(訴訟の多い産婦人科から医者がいなくなり)

子供が生めなくなって、ますます少子化は進み・・・


食品の賞味期限偽装が問題になると

(まだまだ食べられる食品が、簡単に捨てられて)

ますます食料自給率が下がってしまう。


なにごとにも「あそび」が必要です。コンプライアンスもほどほどに。

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