風船爆弾と日米親和
北茨城市五浦にある茨城県立天心記念美術館のすこし手前に風船爆弾の慰霊碑がある。
風船爆弾とは、第2次世界大戦中、日本軍がアメリカ本土へ向けて飛ばしたものである。
亜成層圏(高度8千~1万m)には西から東へジェット気流が吹いていて、これに乗せるとほぼ2日間でアメリカまで到達するという。
約9千個作られ、その内3百個が到達した。
千葉県一宮と福島県勿来、そして、勿来のすぐ南になる茨城県五浦が放出基地だった。http://ja.wikipedia.org/wiki/風è¹çå
米国が原子爆弾を作っている時に日本は風船爆弾を作っていたのだから、戦力的に勝ち目はない。
広島、長崎の死者は10万人を越えるという。これに対し風船爆弾による死者は6名。
(これは山中の木に引っかかっていた風船に誤って触れたハイカーの家族だという)
この数字だけを見ると、日本の技術の稚拙さだけが目立ってしまうが、よく調べてみると日本もなかなかてすてたものではないのです。
第1に、当時ジェット気流の存在を知っていたのは日本だけ。
大正15年に高層気象台初代台長の大石和三郎が日本上空に高層風があることを発見していたのです。
(気象学は当時から世界的に先進国だったのです。)
第2に、当時の長距離の兵器としては世界No.1。
大陸間弾道ミサイルができたのは、戦後の東西冷戦下のこと。
それに先立ち、大陸を越えて使用された兵器としては世界で最初のものだったのです。
とはいっても、所詮人を殺す兵器。自慢できるものではないですね。
同じ五浦の海水浴場の近くには、心ある地元の人たちによって戦争を戒める碑文が刻んである「わすれじ平和の碑」が建立されています。
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新しい誓い
海のかなた 大空のかなたへ 消えて行った
青い気球よあれは幻か
今はもう 呪いと殺意の 武器はいらない
青い気球よ
さようなら さようなら戦争
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そしてもうひとつ五浦には日米親和のエピソードがあるのです。
太平洋戦争で日本の主要都市が空襲で壊滅した時、京都や奈良など歴史のある街はこれをまぬがた。
これは(真偽諸説があるのですが)米軍中枢に日本の古都の文化の重要性を進言し、爆撃を回避させた人物がいたからだという。
その名は、ラングドン・ウォーナー。
日本美術の研究者で岡倉天心に師事し、戦前の3年間この五浦に滞在していたことがある。
その縁で、このウォーナーさんの銅像が「わすれじ平和の碑」に程近い茨城大学五浦美術研究所の一角に建っているのです。
近くにお出での際は、是非お立ち寄りください。
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