Saturday, December 22, 2007

貞奴の恋
















川上貞奴。日本で最初の近代女優といわれている。
明治の初期、夫音二郎と共に一座を率い、ヨーロッパ、アメリカの興行で大成功をおさめた。

ここまではよく知られた話だが、後半生、日本の産業振興を陰で支えた人物だったことはあまり知られていない。

貞奴は、40歳で、夫と死別した後、大正9年に名古屋市二葉町に和洋折衷の豪邸を建てた。
愛人、福沢桃介と過ごした家である。http://www.futabakan.city.nagoya.jp/

福沢は、日本の電力王と呼ばれ、木曽川の電力開発に人生をかけた人物である。
木曽川のダム建設現場にそう遠くない名古屋に貞奴と暮らし、電力事業を指揮した。

こう記すと、貞奴は福沢のただの愛妾のようだが、事情は大きく異なるのです。
この建物(二葉館)は、貞奴が自力で建てたものであるし、貞奴自身、桃介から生活面で援助は受けていない。

二人のつながりは、貞奴が芸妓だったころ、野犬に襲われたのを慶応義塾の塾生、桃介が助けたのが縁である。その時二人には淡い恋心が芽生えたと言われている。
しかしその後、貞奴は音二郎と出会い演劇の道へ、桃介は、義塾の塾長福沢諭吉の婿養子になり、実業界へ。
出会いの後、二人はそれぞれ全く別の世界に進みながらも、時を経て再会し、その後の半生を共にするのです。

桃介の電源開発は、困難を極めました。土木技術が未熟な時代、大河木曽川にダムを築く。ひとつ間違えば、破産の憂き目になりかねない事態だったという。http://www.mlit.go.jp/accountability/pickup/legend/momosuke.html

貞奴は、桃介の身の回りの世話だけでなく、現場にも同行したり、事業の成功を日々神仏に祈願したという。桃介も貞奴の助けがあって事業に専心できたといわれています。
(後年、貞奴はダム建設現場近くの岐阜県鵜沼に私財で寺院(貞照寺)を建てた。そこの彫刻壁画にはダム建設成就を不動明王に祈る貞奴の姿が彫られている。http://www.inuyama-naritasan.or.jp/teisyouji/hekiga2.html

近代産業の基礎は電力にあります。電源開発がなければ、日本の近代化はありえませんでした。
芸能生活の華かな面だけが人々に記憶されていますが、電源開発の陰の功労者としての川上貞奴の後半生も、女優生活に劣らず、すばらしいものだったのです。

(11月名古屋にて)

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