腕はいらぬ
彫刻家、山崎猛の没後10年展が東海駅ステーションギャラリーで行われている。(1月26日まで)http://www.ibaraki-np.co.jp/47news/20080108_04.htm
地元茨城の作家だけにいろいろな場所で見ているが、個展としてまとめて見るのは初めてだった。
これまで何気なく見過ごしていたが、新たな発見があった。
山崎の作品の多くは、裸婦像である。それも女性の肉体の豊穣さをデフォルメしたものが多い。
女性像は曲線によってボリューム感が出しやすい。
しかし、手や腕は、細かな部分であり、それ単独で表情を持ってしまうのでボリューム感の邪魔になる。
そこで山崎は、裸婦像から手や腕を省略してしまった。
確かに後半の作品には腕のないものが多い。
言われてみればなるほどである。
家に帰ってからふと気がついた。山崎は、何からこのことを発見したのだろう。
ミロのビーナス(ルーブル)、アフロディティーの像(ローマ国立美術館)その他・・・。
代表的なギリシャ彫刻の裸婦には腕がない。
発掘されるまでの間に失われたものだが、(確かに)腕がなくなったことで女性の肉体の持つ生命感、存在感が強調されている。
(これは私の想像だが)山崎は、若い時分、イタリア政府の国費留学生として、ローマで学んでいた。
この時ギリシャ彫刻の模刻を数多く見たはずだ。
ひょとしたら、山崎の原点はそこにあったのかもしれない。
Labels: アート
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