Monday, January 28, 2008

クイーン


ダイアナ妃がパリで事故死した97年夏の1週間。英国王室、とりわけエリザベス女王の心の葛藤を描いている映画です。

ダイアナの死に弔意を示さない王室。これに対し、批判を高める大衆。
1/4の国民が君主制の廃止を望んでいるという世論調査がでる。

その国家的危機に、王室と国民の和解のため女王に助言を続けるブレア首相。
最後には、助言を聞き入れ、国民に向け声明を発表する女王。

労働党党首(革新?)でありながら女王を敬愛するブレアの言葉が印象的でした。
「生涯を国民のためにささげた女性を非難できるか?」

それにしても現役の女王の、そして確執が噂された元皇太子妃の死の直後の様子をよくも映画に出来たものです。

英国王室に近い筋から得た情報で脚本が作られたというから、事実とそうは違わない内容だったのでしょう。
女王役のヘレン・ミレンを始めとして俳優陣がみなそっくりさんというのも驚きで、いつの間にかドキュメンタリー映画を観ているような錯覚に陥ってしまいます。

女王がローバーを自ら運転してバルモラル城周辺の山中を疾走するシーンも驚きでした。
(女王が運転するなど考えても見なかった)
そして家族や使用人ともごく普通に接していて一般人とそう変わらなく描かれているのです。

事実なのでしょう。
王室というと、日本の皇室と同じように考えてしまうのですが、この映画のように(人間味豊かに)見られているのは、やはり開かれた王室だからでしょう。



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ところで、(本物の)エリザベス女王を間近でお見受けしたことがあるのです。
96年の夏にイギリスを旅行した時、ロンドン塔でのこと。
テムズ川の遊覧船に乗り桟橋からロンドン塔に入る時、入り口で数分待たされたことがあったのです。

気にも留めずにいたら、数人の護衛に付き添われて、女王が夫エジンバラ公とともにロンドン塔から出てきたのです。
なんと目の前10mほどのところを通り抜け、そして王室のボートに乗られご帰還されたのでした。

その間、わずか1~2分だったでしょう。
突然のハプニングに驚いてしまったのですが、
印象は、
「どこにでもいそうなオバサン」でした。

(気品はあったものの)歩き方も早く、亭主をせかすようなしぐさもあって、きわめて親近感を感じるものでした。
そのときの女王の様子が、映画と同じなのです。

今思うと、ちょうど映画の場面の1年前で、チャールズとダイアナが離婚したころだったのです。
ところで、4人の子供のうち3人までもが離婚経験者というのでは、母親もたまりませんね。
育て方が悪かったといってしまえばそれだけのことなのですが・・・・。

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Sunday, January 20, 2008

腕はいらぬ

彫刻家、山崎猛の没後10年展が東海駅ステーションギャラリーで行われている。(1月26日まで)http://www.ibaraki-np.co.jp/47news/20080108_04.htm


地元茨城の作家だけにいろいろな場所で見ているが、個展としてまとめて見るのは初めてだった。


これまで何気なく見過ごしていたが、新たな発見があった。


山崎の作品の多くは、裸婦像である。それも女性の肉体の豊穣さをデフォルメしたものが多い。

女性像は曲線によってボリューム感が出しやすい。

しかし、手や腕は、細かな部分であり、それ単独で表情を持ってしまうのでボリューム感の邪魔になる。

そこで山崎は、裸婦像から手や腕を省略してしまった。
確かに後半の作品には腕のないものが多い。
言われてみればなるほどである。




家に帰ってからふと気がついた。山崎は、何からこのことを発見したのだろう。

ミロのビーナス(ルーブル)、アフロディティーの像(ローマ国立美術館)その他・・・。
代表的なギリシャ彫刻の裸婦には腕がない。


発掘されるまでの間に失われたものだが、(確かに)腕がなくなったことで女性の肉体の持つ生命感、存在感が強調されている。

(これは私の想像だが)山崎は、若い時分、イタリア政府の国費留学生として、ローマで学んでいた。

この時ギリシャ彫刻の模刻を数多く見たはずだ。
ひょとしたら、山崎の原点はそこにあったのかもしれない。

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Saturday, January 19, 2008

マルクスにもアートを









ハイリゲンシュタット(ウィーン)というとベートーベンの「遺書の家」が有名だが、地下鉄ハイリゲンシュタット駅の近くには延長(なんと!)1Kmにもなる巨大な集合住宅がある。

その名もカール・マルクス・ホフ。
ホフ(hof)、独語で「館」のことだからこの建物はかの「マルクス」の館ということになる。
といってもマルクスが住んでいたわけではない。

第1次世界大戦後、ハプスブルク帝国は消滅し、オーストリアは共和国となった。
その時選挙で選ばれたのが社会民主党。「赤いウィーン」と呼ばれた社会主義政権であった。
この政権下でつくられたのが、この集合住宅。
ゆえに共産主義の教祖(?)マルクスの名前を冠したのである。

とてつもなくデカイ。

戸数約1400、4000人が暮らす。幼稚園から病院、理容所まであり、集合住宅というよりは小規模の都市なのである。
建設されたいきさつは、第1次大戦が終わり、復員してきた兵士で人口が急増したので、大量に入居できる巨大集合住宅を作ったのである。

とはいっても、芸術の都、ウィーン。日本の公団住宅ような野暮な建物は作らなかった。
完成したのは1927年。19世紀末のウィーンセセッシオン(分離派運動)を経て、20世紀初頭に始まった装飾を排した機能主義建築の時代である。
社会主義政権下らしい機能中心の建築様式ではあるが、時代を反映したデザイン(表現主義)がそこかしこに見られ、80年を経た今でも存在感のある建物である。(取り壊されてしまった同潤会アパートもそうだった。)

よく見ると、ゲートアーチの上には彫刻が置かれていたり、その上の最上階の壁にはシンボリックな塔が付けられていたり・・・。確かにモダン主義なのだ。

「マルクスにもアートを」。「思想にこそ芸術を!!」。・・・・そう考えて見ればなかなかユニークな建物なのである。

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Sunday, January 13, 2008

思い出のフットパス

健康管理のために半年前からウォーキングにいそしんでいます。
幸い、山も海岸も自宅から歩いていける距離にあり、60~90分で還って来れるコースを楽しんでいるのです。

さて、そこでウォーキングに関し、10年以上前にイギリスで体験したフットパスウォーキングをご紹介しましょう。
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イギリスでは1932年に「歩く権利法(the right of way)」が制定された。

これは、公道でなくとも以前から歩かれていた私道に、他人の「歩く権利」を認めたものである。
「歩く権利法」で認められた道がパブリックフットパス(public foot path)である。
(正確には他に二つの道があるがここでは省略)
http://landsend.travel-way.net/bluebell/footpath/index.html

フットパスとは、文字通り歩き踏み固められた道だから、舗装されていない小道である。その多くが牧草地の中にあり、地主の了解を得て「パブリックフットパス」に認定されている。

イギリス人には、歩くのが趣味という人が多い。

カントリーサイドに行くといたるところに「パブリックフットパス」がある。もともと自然発生的に出来た道だから特に整備されたものではない。
パブリックフットパスであることの標識と道に迷わないように所々に目印があるだけである。
そして、旅人にもわかる様に、町(村)の店(雑貨屋や郵便局)にはマップが備えられている。

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私達が体験したところは、コッツウォルズ地方のカッスルクーム村でした。
http://www.ah-london.com/trip/cots/castle.html


コッツウォルズ地方はかつて羊毛の産地として栄えたところです。


ロンドンから電車で西に約1,5時間、最寄の駅チッペナムからタクシーで20分くらいだったでしょう。

カッスルクームは、「イギリスで最も美しい村」に何度も表彰された中世の面影を残した村です。

小さな村だから30分もあれば観光の見所は見終わってしまいました。

雑貨屋で記念品を探していると、ウォーキングマップを見つけたのです。そして急ぐ旅でもなかったのでマップを参考にフットパスを歩くことにしたのです。

コースは4,5通りあったでしょうか。その中で1時間ほどで回ってこれるコースを選び、出発。

マナーハウス(貴族の館)の近くから始まり、牧草地(私有地)を通り、いつの間にか道は、ゴルフ場へ。そのあと牧場主の居宅の脇を抜け、一般道へ。そして中世の田舎そのままの家並みの小道をたどり出発点の村の中心地に帰還。





















背景には (英文学に見られる)自然を愛する国民性があるのでしょう。
フットパスが全国に張り巡らされ、休日に多くの人々が自然を楽しんでいる環境はうらやましい限りでした。

つらつら思うに、高齢者が増え、医療費の増加が問題になっている日本だからこそ、健康増進のためフットパス整備に力を入れたらどうかと思うのです。

車を走らせる道路は、膨大な建設費がかかりますが、フットパスは手づくりで安価に作れるのです。
必要なことは、「歩く権利法」のような法整備と地域で運動の担い手を育成することだけなのです。

ガソリン税の暫定税率の存続、廃止が政治問題になっていますが、フットパス整備のような使い方が出来るなら国民は存続に賛成するのではないでしょうか。

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Tuesday, January 08, 2008

光の教会











安藤忠雄の傑作のひとつである。

正式には茨木春日丘教会という。
3年前に行った時のことを思い出してみる。
大阪吹田の万博記念公園から徒歩で20分ほどの場所だったろうか。
閑静な住宅地の中の教会である。

安藤建築の特色であるコンクリート打ち放しの建物で、壁に十字架のスリットが入っている。

普通の教会であれば祭壇があり十字架が掲げられている。
この教会には何の装飾も無い。あるのは外部から差し込む十字の光だけである。
安藤は、キリスト教の原点に立ち返り、簡素でピュアな教会を作った。

プロテスタントの宗派であることや建設資金が乏しかったことも理由のひとつであるが、安藤は、困難さを逆手にとって教会建築のエポックを作った。

当初の設計では、十字のスリットから風や雨が吹き込む計画だったという。
さすがに施主の希望でスリットにはガラスがはめ込まれたそうだが、教会建築の精神性を突き詰めた安藤らしいエピソードである。

礼拝日である日曜の午前中と(確か)水曜日を除いて見学が出来る。
私の行ったときにもニューヨークで建築を勉強中の学生が見学していた。

隣接する日曜学校も安藤の設計だが、机や椅子の無垢木の暖かな色合いが光の教会とは別の趣をかもし出している。こちらもお勧めである。

なお、(安藤だけでなく)建設に係った施主や工務店にも取材した「光の教会ー安藤忠雄の現場(平松剛著)」は建物見学には必見である。こちらもお勧めします。

建築家だけがすばらしいのではないのです。建築家と(互角に)四つに組んだ施主や工務店もエライのです。

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Tuesday, January 01, 2008

ご来迎




08年の歩き初めとご来迎。
今年も良い年でありますように。
             元旦
(風神山山頂から)
風神山については

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