東京国立近代美術館には2つの分館がある。
本館(竹橋)の近くにある工芸館(工芸・デザイン部門)と京橋にあるフィルムセンター(映画部門)である。
タイトルのNFCは、この映画部門(National Film Center)の愛称のことである。
連休の谷間の5月1日(火)に休暇をとって近代美術館3館を全て回ってみた。
本館と工芸館は何度も行っているのだが、今回は初めてフィルムセンターまで足を伸ばしてみた。
それというのも、ネットで4月から6月にかけ今井昌平、黒木和雄の作品の上映会が行われているを知ったからだ。
http://www.momat.go.jp/FC/fc.htmlフィルムセンターは、内外の秀作映画フィルムの保存・修復と上映を行っている。
そして、この連休を挟んだ3ヶ月間は、昨年亡くなった今井、黒木両巨匠の回顧展が行われている。
今井昌平の作品も好きである(特に「黒い雨」)。しかし、それ以上に黒木監督の作品にはぞっこんなのだ。
黒木和雄は、70年代後半、すでに前衛映画(ATG)の巨匠の一人だった。
商業映画ではなかったが、学生運動華やかし当時の世相もあって、大学生を中心としたファンが多く、私もその一人だった。
とはいえ、黒木の作品は、町の封切館で上映されることはなく、名画座か場末の劇場で見た記憶がある。
今回は黒木の代表作9本が上映されている。そして5月1日は、中でも秀作とされている「竜馬暗殺」「祭りの準備」が見られたのだ。
両作品とも、30年以上も前、学生時代に観て強烈な印象を受けた。
「竜馬暗殺」は、坂本龍馬の殺害が(通説となっている幕府側の暗殺ではなく)倒幕派の内紛による仕業であるとした筋書きで、当時の学生運動の内ゲバをモティーフにしている。そして手撮りのカメラアングルとモノクロ画面が時代背景とあいまって不思議なリアリティーをかもし出している。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD28544/「祭りの準備」は青春映画である。とはいっても、決して美しくもさわやかでもない。ふるさと(高知県中村市)の猥雑な人間関係を断ち切って上京するまでの青年の葛藤がテーマである。
親との相克、性、貧困、犯罪などの現実問題を漁村集落を舞台にみごとに描いている。
(かつては日本のどこにでもあった社会風景なのだが・・・)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD18438/index.html主演の江藤潤、助演の竹下景子、原田芳雄などの演技が光っている。
映画の出来は、役者に大きく左右される。俳優は映画の原作、シナリオを踏まえて監督が決めるものだが、黒木の人選には感心させられる。
江藤潤の「うぶ」、竹下景子の「純」、原田芳雄の「ワル」ははまり役である。原作、シナリオ、演出とあいまってこの映画を名作にしたのはこれら配役の妙だろう。
70年代は、前衛映画を撮っていた黒木だが、晩年は、反戦映画をライフワークとしていた。
「美しい夏キリシマ」「tomorrow・明日」そして「父と暮らせば」の反戦3部作である。
後ろ二つは、広島の原爆投下を舞台としていて、その中でも「父と暮らせば」は反戦映画として後世に残る作品だろう。
「父と暮らせば」は、井上ひさしの戯曲を映画化したものだが、「祭りの準備」同様配役がすばらしい。
この映画は、原田芳雄の(原爆で死んで亡霊となって出てくる)父と宮沢リエの(生き残った)娘の(ほとんど)二人だけの会話で構成されている。
一切戦争や戦災の映像を用いず、言葉だけで戦争の悲惨さを見事に表現しているのである。
井上ひさしの原作(シナリオ)と黒木の演出が見事に共鳴・昇華した作品と言えよう。
http://www.pal-ep.com/father/今回のシリーズでは「父と暮らせば」は上映されていない。
国立近代美術館フィルムセンターは、先に述べたように秀作映画の保存・修復を目的としている。70年代の映画は、保存の対象となるが「父と暮らせば(04年制作)」はまだまだ現役映画だからである。
黒木和雄没後20年(2026年)になれば今回のようにフィルムセンターで上映される日が来るであろう。