Friday, January 26, 2007

知者楽水


旧里美村にある徳田発電所。里川流域の5箇所の発電所の中で最も上流にある。大正15年の建設で国の登録文化財に指定されている。

水路式発電所は、発電量は少ないが、ダム式発電所のような大規模な土木工事を行わないので、本当の意味で環境にやさしいエネルギーなのだ。


見過ごしてしまいそうだが、よく見ると導水管とこれを囲む石垣は、力強さもさることながら、周辺の景色と調和し、実に美的である。昔の技術者のセンスがうかがわれる。知者楽水というところか。

発電量650kw 取水口から発電所の落差106m

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Sunday, January 21, 2007

納得



9月に蒔いた大根が大分育ったので収穫した。
たまたまた「三浦大根」の種を店で見つけたので、これまで作っていたの青首大根を止めて蒔いてみたのだった。
久しく「大根足」とい言葉を聞かないと思っていたら、収穫してみて納得である。

スーパーで出回っているものの殆どが青首大根である。かつては大根の主流であった「三浦大根」「練馬大根」は、辛味が強いため消費者に敬遠され、店頭から姿を消したのだそうだ。
昔の大根は形が中太りだったので、大根足のいわれになったのだ。「三浦大根」が出回らなくなったのは、味だけでなく「大根足」を気にした女性心理が働いたのかも。

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Monday, January 15, 2007

映画漬けの日々

正月休みとその後の3連休に(レンタルして)見た映画

「動乱」(高倉健 吉永小百合 監督 森谷司郎 80年)△
 昔見たのを忘れて借りてしまった。吉永小百合も高倉健も若く、それだけで満足。

「博士の愛した数式」(寺尾聰 深津絵里 監督 小泉尭史 06年)○
 小泉監督の第3作目。第1作の「雨あがる」は黒澤明の遺産、第2作の「阿弥陀堂だより」は独立したばかりでぎごちなさがあったが、「博士の愛した数式」でいよいよ本物になった。

「蝉時雨」(市川染五郎 木村佳乃 監督 黒土三男 05年)◎
 藤沢周平の世界を撮らせたら黒土三男は山田洋二と双璧、あるいはそれ以上か。


「東京兄妹」(緒方直人 栗田麗 監督 市川準 95年)◎◎
 95年の作品。時代背景は、まだ良き人間関係の残っていた70年代だと思われる。セリフも少なく淡々としたドキュメンタリー風の映画。市川準は好きな監督の一人だがこんな静謐な映画を撮っていたとは。
 
「男たちの大和」(中村獅童 鈴木京香他 監督 佐藤純也05年)×
 原作(辺見じゅん)は良いのだが、映画は金をつぎ込んだ戦闘シーンだけの駄作。

「戦場のアリア」(フランス・ドイツ・イギリス合作 05年)◎
 第1次大戦下、クリスマスイブの歌声をきっかけに、敵同士が最前線で歩み寄り、シャンパンで乾杯したという現実の出来事。「司令官の戦争と兵士の戦争は違う」という前線兵士のセリフが泣かせる。

「ヒトラーの最後の12日」(ドイツ映画 04年)○
 2時間半もの映画だが、飽きさせないのはさすがヒトラーもの。見て損はなし。

「夕陽のガンマン」(クリントイーストウッド イタリア映画 65年)○
「硫黄島からの手紙」のイーストウッド監督も良いが、賞金稼ぎのマンゴーもいいよ。


「在日・歴史編」(監督 呉徳洙 97年)◎◎
 日本の敗戦で開放された(はずの)在日朝鮮人・戦後50年の軌跡のドキュメンタリー。併合され日本人にされた朝鮮人が敗戦によって外国人として再差別された歴史が綴られている。必見。

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Sunday, January 14, 2007

ビスターリさとみ

週末特に用事もなかったので、前から気にかかっていた「ビスターリさとみ」に思い立って行ってみた。
「ビスターリさとみ」は平沢土地区画整理組合理事長の椎名さんが本業を投げ打って活動しているNPO法人である。

ビスターリとは、「のんびり」といった意味のネパール語である。退職された日立市の教職員が隣の里美村につくったボランティア宿泊施設で、宿泊しながら農作業や山仕事を体験することができる。


昨年暮れ、椎名さんから一冊のレポートを借りた。放送大学の卒論だという。この「ビスターリさとみ」でのボランティア体験を通じて、日本におけるNPO活動の課題をまとめたものである。感想を聞かせてほしいといわれており、一度現地を見ておきたかったのである。

連絡もせず、突然訪問したのだが、宿直をされていたメンバーの方(教員OB)に話をうかがうことができた。元々この施設は、現役教員のための宿泊施設としてつくったのだそうだ。問題をかかえた生徒とじっくり時間をかけてふれあうための施設である。この施設を知って、遠くは九州からやってきた不登校の生徒もいたそうである。

(写真は部屋から見た畑)

昔は(といっても10数年前なのだが)、先生方にも余裕があり、休日にも校外で子供たちの生活指導を行っていた。教員への風当たりが強いが、今でも大多数の教員は、職務に熱心である。学力低下やいじめは、学校だけの責任ではない。むしろ社会全体の問題を学校現場に押し付けているのである。残念なことに現在、この宿泊施設を使う教員は減っているという。あまりにも忙しく、生徒と向き合っている時間がないためだという。角をためて牛を殺すとはこのことだろう。

(写真は炭焼き小屋)

現在、この施設は、一般にも開放されている。子ども会、スポーツ少年団など青少年育成団体を始め一般の団体の利用も多いという。「食事つくりから、部屋の清掃・・・全て宿泊者の責任で行う」これだけが規則だそうだ。「自己責任」を通じて、子供たちが学ぶことは多いという。

この施設の経営は、収支トントンだというが、実態は、関係者の寄付金でかろうじて維持できているという。退職金をつぎ込んだという役員の方々には頭が下がる。このような活動が、教育の底辺を支えていることを忘れてはなるまい。

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