Saturday, July 14, 2007

豊かな道

府中市郷土の森博物館へ行くのに府中駅から下河原緑道を歩いていった。

下河原緑道は、昭和51年まで運行されていた国鉄下河原線の廃線跡地を歩行者と自転車の専用道路として整備したものである。

歩行者と自転車だけの道路だから自動車(の危険)を気にしないで歩けるので気分は至って快適である。 
                                                   
時代の移ろいと共に不要になるものは多い。国鉄下河原線は、かつては国分寺~東京競馬場間の輸送を担っていたが、(並行する)武蔵野線が開通したことで役割を終え、廃線となった。

不要になった施設を再活用して時代を開く。新しいものを作るだけが都市計画ではない。まちづくりの真骨頂は、古いものを未来につなぐことにあるのです。
廃線跡を仕立て直した下河原緑道の沿線には、本来の暮らしを支える数々の機能が付随していた。

ポケットパーク:歩行者の休息の場所や、近所のたまりの場所となっている。
トイレ:歩行者(特に高齢者)にとってこれはありがたい。 
生産緑地地区:20年間以上農地として残すことを条件に、持ち主に宅地並み課税を免除する制度である。これは単に税金対策だけではない。農地が残ることで、市街地に緑が確保できるのである。
市民農業大学:生涯学習の一つとして、農業体験(ここではそばづくり)を市民が体験できる。
農産物即売所:新鮮な野菜が安く手に入る。生産者、消費者、両方にメリットの多い地産地消施設なのです。
                                                                                                                                   
                                                                                                                  
                                                                                  
                                                      
                                                                 
                                                           
                                                                            
                                                 
                                                       
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成熟社会におけるインフラとは、この下河原緑道のような公共施設を言うのでしょう。

さて、下河原線と同じよう廃線となった日立電鉄線の跡地はどうなるのでしょうか。
廃線を決める際の廃止容認派と存続派の対立は、(どちらに原因があったにせよ)お世辞にも民主主義と言える代物ではありませんでした。

日立市が成熟した市民社会になるためには、存続か廃線といった二元論ではなく、どうすれば次の時代につながる活用ができるかという第3の道の議論が必要ではないかと思うのです。

廃線から2年が経っても、何の議論も始まりません。それだけ対立の根が深かったということでしょう。対立のエネルギーを協調と創造の力に変えることができれば、未来が見えてくるはずなのですが・・・。

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