Saturday, August 04, 2007

理由


宮部みゆきの直木賞受賞作品を、大林宣彦監督が映画化したサスペンス映画「理由」。

04年に映画化されたものだが、まったく知らずにいて、たまたまレンタル店でDVDを見つけ借りてきた。

160分もの大作だが、ストーリーの面白さとテンポの良さで一気に見てしまった、そして翌日また繰り返し見てしまったのだ。映画の筋書きは以下のHPでhttp://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD36059/story.html

作品は、(原作に忠実に)関係者へのインタビューを通じて事件の真相に迫ろうとする。ドキュメンタリー映画を彷彿とさせるところがこの映画の特色である。

107人もの人物が出演しているのだが、その多くが名の通った俳優である。
岸辺一徳、古手川裕子、柄本明、勝野洋、片岡鶴太郎、永六輔、立川談志・・・・
(原作では、300人もの登場人物が描かれいる。)

一つの殺人事件に何らかの関係のある人物を、それぞれの「訳あり」を丹念に撮るため、これだけの出演者になったという。

物語は、殺人事件に否応なく係らざるを得なかった様々な人物と、その人物を取り巻く家族のありようを丁寧に描いている。

この事件は、バブル崩壊の直後、(家族のため)マンション購入に狂騒する平凡な市民が、競売物件の占有事件に巻き込まれたことから始まる。家族のため無理をしてマンションを買求めたが、その結末は、ローンが払えず、家庭の崩壊が待っていた。その後、その部屋に住んだのは占有屋に雇われた擬似家族。擬似家族だが、それまでの実の家族との生活よりも幸せに暮らしていた。そこで起きた一家(?)4人惨殺事件。そして事件に巻き込まれた最後の所有者は、資産は失うものの、壊れた家族関係の中から新たな絆を見出す・・・・。

犯罪の陰にある、様々な人間模様。
はじめから犯罪を意図する事件は少ない。
「理由」があって犯罪に手を染めてしまう。

偶然と欲望と人間の弱さのなせる業である。

目に触れるのは表面だけという「事件」が、日々報道されている。
その陰に、どれだけ犯人やその家族の止むに止まれぬ「理由」が隠されているのだろうか。

身につまされる話なのだ。

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Wednesday, August 01, 2007

今こそマキャベリ

参議院選挙で自民党は、歴史的大敗を喫した。

安倍総理は、続投の意思を示したが、それに対し内外から賛否の意見が出ている。

自民党内は、不満は残るが、大方了解。
財界は、改革路線継続を条件に続投賛成。
野党は、首相の責任追及を続けるという。

敗戦の原因は、年金記録漏れと大臣の不祥事、不規則発言といわれている。
(しかし)表向きそれが理由だとしても、根底には安倍総理自身のキャラクターに問題があったのではないだろうか。

「教育改革」や「憲法改正」を政治課題に取り上げたことは、(賛否はともかく)ポリシーを明確にすると言う点で、決して間違ってはいない。小泉政権が「構造改革」を掲げたことと同じである。

問題は、リーダーとしての資質である。
端的に言えば「非情」になれない者は、指導者としての資格がないのである。

内輪の人間関係で内閣を運営し、閣僚が問題を起こしてもかばい続ける。
育ちの良い「お坊ちゃま」の温情主義といわれても止むを得ない。

国民は、良く見ている。と言うより、安倍晋三を総理にした時点で自民党は、大衆の本質を見誤ったのである。
本来、人間(大衆)は、「老獪な知恵」と「偉大な力」をリーダーに望んでいる。
動物に例えれば「きつねの狡猾さ」と「ライオンの強さ」なのである。

これは、中世、フィレンツェの思想家マキャベリの著「君主論」の中の名言の一つである。

彼の思想は、「マキャベリズム」といわれ、「目的のためには手段を選ばず」という言葉に代表される。倫理よりも現実を重視するその思想は、社会の多数を占めるヒューマニストからは非難されてきた。

しかし、現実社会は、隣人愛にあふれる人間だけで構成されているわけではない。
むしろ、対立や駆け引き、そしてその結果の妥協が世の常であり、極端な話、政治はそれだけの世界なのである。
政治と個人生活は本質的に別のものである。政治と倫理は分けて考えなければならない。
それ故、時代は変わってもマキャベリの思想は、今なお健在なのである。

安倍政権の続投に当たり、(塩野七生の著書から)マキャベリの箴言をもう一つ。

「しかし君主(指導者)は、それをしなければ国家の存亡にかかわるような場合は、それをすることによって受けるであろう悪評や汚名など、一切気にする必要はない」

写真 ウフィッツ美術館前にあるマキャベリの像

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