Saturday, October 13, 2007

夕張キネマ街道

8月下旬に夕張へ行ったときの写真です。

夕張キネマ街道。シネマではなくキネマ。
昔は映画のことをキネマと言っていた。

メインストリートには往年の名画の手書き看板がいたるところに掲げられている。
これは、夕張(国際ファンタスティック)映画祭の一環で作られたものである。

炭鉱が盛況だった頃、市内には16もの映画館があったと言う。

1990年、(かつて映画少年だった)当時の市長が発案し、始めた国際映画祭。
若手監督の登竜の場にもなり、一定の評価を受けていた。
最盛期には入場者も2万7千人を越え、国内でも有数の映画祭に育っていた。

(よく知られているように)夕張市が財政破綻し、この映画祭も平成17年度から中止となった。
(今は規模を縮小し、NPO団体が何とか映画祭を続けている。)

この映画祭の費用は、毎年1億円かかったという。
一方、入場者収入は500万円ほどで、その差はほとんど夕張市が負担していた。

炭鉱の街から観光の街へ。
果敢に産業構造の変革に挑戦した。

しかし果敢は無謀と紙一重である。
個人の問題であれば、果敢も良いだろう。だが市の政策に無謀は許されない。
為政者に問われる資質の一つに、マネージメント能力がある。(あまりに当たり前のことだが)
財政赤字を(隠蔽し)拡大していった市長と市議会の責任はあまりにも大きい。
そこに見えるのは、
市長、議会は(いずれ)道や国が何とかしてくれるだろう。
市民は、市に任せておけば大丈夫(?)という、当事者意識の無さである。

行き着くところまでいって、やっと事の深刻さに気がつく。
これといった産業も無い人口1万2千人の町で、負債総額542億円(何と市民1人当たり450万円!)。
今後18年間の再建計画(赤字解消額は353億円)。
増える住民の負担。
これも人口が減り、産業が廃れれば実現不可能だという。

市が作った、公共施設や観光施設だけが立派で、粗末な民間住宅との差は悲しいほどである。
(写真 半ば休業状態の遊園地)

寂れた商店に掲げられた名画の手書き看板。かつては夢を見せてくれた映画も、夢に人偏を付ければ「儚」(はかない)。

人・ひと・ヒト・・・
有能で見識ある人材を育て、活用する仕組みができなければ、街も国も廃れるのだ。 

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