Sunday, December 03, 2006

陳情活動と地域再生


 年末である。来年度予算編成へむけて地方自治体は、「霞ヶ関」や「永田町」詣でが忙しい。予算獲得の陳情活動である。
 職責上、陳情に行ってきた。陳情内容は「治水・砂防予算の獲得」。陳情先は「地元選出国会議員」である。
 数年続けて公共事業予算が削減されている。「治水・砂防」は、公共事業の中でもマイナーである。(なんといってもメジャーは道路である。)それだけに、予算獲得には必死であり、「治水・砂防全国大会」を開いて、予算獲得のための「決議」をもって各先生方を回るのである。


 東京までの往復の電車の中で「地域再生の経済学(神野直彦)」を読む。
 内容は以下のとおり

・経済がグローバル化すると、国境(ボーダー)を管理する中央政府の所得再配分機能(現金給付による社会的セーフネット)が破綻する。その結果、これまで社会の枠組みであった福祉国家が崩壊する。
・経済が発展すると、工業社会が終焉し、情報・知識社会への産業構造の転換が進む。そして情報・知識集積の高い大都市(東京ほか)に人が流出し、工業で成立していた地方都市は、衰退する。
・衰退する地方都市の再生は、市場経済ではなく、「人間の生活の場」としてのみ可能性が見出せる。「人間の生活の場」とは、地域の持つ優れた文化や自然的、人間的環境のことである。再生の例はヨーロッパの都市(ストラスブール、ビルバオ・・・)に数多く見られる。
・「人間生活の場」はコミュニティーが、その担い手である。その前提には、市民が共同負担にもとづいて、共同事業を実施できる財政上の自己決定権がある
・財政の自己決定権とは、とりもなおさず地方分権である。経済が発展すると、国民国家は上方(EUのような超国民国家)と下方(地域共同体)に分化する。そして中央集権国家は地方分権国家に変容していく。それゆえ地方分権システムこそが地域再生の原動力となる。

 何も感じることなく「先生」や「官僚」に「お願い・おねだり」を続ける地方議員や自治体職員の姿が、霞ヶ関や永田町に跋扈している。神野の論と現実とには大きな隔たりがある。市民革命を経た「自立意識の高い自治社会」と近代化を求めて先進国の「マネ」を続けてきた「官僚国家」の違いだろうか。

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