履修漏れと立花隆
必修教科を履修していないのに(偽装して)単位を取得させていた問題が全国の高校で発生した。
この問題を苦に2人の校長が自殺するという不幸な事件もおきてしまった。
教育現場では相当前から行われていたことと思われるし、いずれその内容が明らかになるだろう。
この問題の原因は、様々言われているが、本当の理由はやはり大学入試の科目減であろう。
「履修漏れ」を直接指摘したわけではないが、既に10年前にジャーナリスト立花隆が大学入試の変更(受験生にこびた結果の科目減)が日本の知的レベルを下げ、国際競争力を失わせ、やがて国力も衰退することを予言している。
立花の論はこうだ。基本的に彼はリベラルアーツ(一般教養)こそ学問の本道であり、専門教育より上位に位置するという持論を様々な場所で述べている。
最近の大学は医学や工学など実学が重視されている。就職戦線が厳しいさなか(最近は好景気で若干好転して入るが)就職に有利な実学に各大学は力をいれている。その結果一般教養が軽視され、これに関する授業が減っているという。
高校でも先に述べたように受験科目が減った結果、受験に関係ない科目は、必修ですら「やったことにしておこう」という「ズル」がそこいらでまかりとおる。受験校ほど顕著である。
高校・大学とこのような教養軽視が続くとそれこそ「成績は良くても専門バカ」を大量生産している。その事実は東京大学でも目立ち始め立花の著書「東大生はバカになったか(01文芸春秋社)」に著わされている。(立花は以前東大で客員教授をやっていて相当数の東大生を教えていた)
「分数計算の出来ない大学生」は以前話題になったが、これは極端な例として、「生物」を履修してこなかった医学部学生,世界史を知らない法学部学生などは(無事卒業できても)将来社会に貢献するとは思われないと論じている。
東大に限らず、それなりの高等教育機関を卒業したものは、その多くが各分野のリーダーになる存在である。リーダーは様々な場面で判断を求められるし、その結果によっては多くの部下の人生を破綻させることになりかねない。
立花は、リーダーに求める資質を総合力であるとし、総合力の素地は哲学・倫理学・史学などの一般教養であると述べている。専門職として採用されてもその多くが職歴を経てマネージャー(リーダー)に転進するのが日本社会の慣習である。それ故教養軽視の現状とその結果拡大再選産される「専門バカ」集団に憤りを感じ、国の行く末(知的亡国)に危機感を抱いている。
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